ずっと心地よい気温だったら、
それが当たり前になって、
寒さとか暑さとかのつらさを感じないってことで、
その気温がそもそも心地よい気温で、幸せななことなんだ。とも気がつかないんだろうな。
そういう意味で、辛い悲しい痛い経験って
すべてが、幸せを感じられる能力を高めるための要素になってて、
逆に、そういうことがなかったら、幸せを感じる能力が低くなるのかも。
そう考えると、結局最後は全て自分に何がなくても幸せを感じられるようになることに繋がってるのかな。
その辛いことを誰かが代わりにやってみせてくれることもあるし、
自分に降りかかることもあるし、
でも全部がみんなの幸せを感じる能力の肥やしになるのかも。
私たちは苦しみのない世界を望むけど、
それは苦しみがいっぱいあった経験を含んだ
世界ってことなのかも。